ユークリッド平面幾何の再構成
著者:梅谷 武
原論第I~VI巻における平面幾何を、当時の考え方を損なわない形で素朴な集合論を使って再構成する。原論を読む過程で書き記してきた文書や収集した文献・資料等の素材を整理し、発展させる。(これは準備段階で書いた文章です。この後の進展については幾何学事始をご覧ください。)
作成:2007-04-05
更新:2011-09-30
更新:2011-09-30
古代ギリシャ以来、伝統的に西洋哲学には感覚に基づく感性と論理的思考に基づく理性を区別し、理性の世界を感性で理解することはできないとする考えが根強く残っています。現代における公理主義的数学の礎となったヒルベルトの『幾何学基礎論』にその伝統的な形式主義を見ることができます。しかし、形式から直観を排除しようとしたその試みは必ずしも成功を収めているとはいいきれません。
万葉の時代に、輸入したばかりの漢字を使って、自然や生命の律動を自らの感性と言葉で表現しようとした日本人の歴史を鑑みれば、西洋数学を輸入した初期の世代である高木貞治・岡潔・小平邦彦らが、豊穣な感性の世界をもち、それを西洋数学の言葉を使って表現していたことはごく自然な成り行きであったと考えられます。
小平先生は『幾何のおもしろさ』や『幾何への誘い』において、多くの人々にユークリッド幾何の魅力について語りかけています。そして数学教育からユークリッドが追放されようとしている動きに危惧をいだいていることを表明しています。これに共感する日本人は多いでしょう。ただ、数学教育ということだけではなく、幾何を科学技術に応用する立場から見ると、小平先生のやり方には量の代数的な取り扱いが抜けているところにやや不満を感じます。ユークリッド追放論者であるデュドンネの『線形代数と初等幾何』は極端すぎますが、量に関する代数的な体系をある程度整備しておくことは、幾何学に対する理解をより深め、天文学や物理学、あるいはより具体的な応用分野にまで発展させるためにどうしても必要なことだと思われます。
1970年代後半に数学セミナー誌上で量の問題をめぐる活発な議論が行われていました。小島順・齋藤正彦・森毅・銀林浩・田村二郎・南雲道夫等、諸先生方の自らの感性に基づいた発言と深い考察に基づいた論考がバックナンバーでしか読めないのが惜しまれます。原論を精読するとその量と比の扱い方は南雲・田村理論の原型であり、第II巻は面積は長さのテンソル積であるということを主張しているもので、小島理論そのものといっていいくらいのものであることがわかります。また、運動によって重ね合わせることによって図形が等しいということ等を定めた一連の公理は、運動群の公理系としても読むことができ、クラインのエルランゲンプログラムでさえもユークリッドの手の中にあることに気が付かされます。
クラインは数学教育現代化の先駆者でもあり、幾何学教育をデカルト流に置き換えようとしました。幾何学の問題を解くための技術としてデカルトの解析幾何学は強力ですが、現代の日本人数学者達の感性はそれを認めた上で、形式主義に対する潜在的な拒絶反応の裏返しとしてユークリッドへの郷愁を語っているように思われてなりません。
この文書は、ユークリッドの構築した体系は、表現上の不備があるものの、一般に思われているように古くはなく、むしろ量について真正面から論じている姿勢には現代に先駆けている面もあるということを知らしめるために、読みやすい形でユークリッドの平面幾何を再構成することを目的としています。現代数学のように実数論の上にすべてを構築していくものではなく、ユークリッドの立場をなるべく当時のままに再現しながら、直観と形式が調和するような体系を目指すものです。
点(點)
「点(點,テン,会意・形声)」は占いで特定の場所を定め示すための黒いしるしのことを意味しています。「卜(ボク,象形)」は亀の甲を焼いたときの割れ目を描いたものでうらないを意味し、物や場所を示す「口」を付けて、卜によって物や場所を選ぶ「占(セン,会意)」となりました。「黑(黒,コク,会意)」の下部は火を、上部は煙突に点々とすすがついたさまを表しています。「點」は後に略されて「点」となりました。 幾何においては、まさに位置そのものであるものを意味し、長さ、広がりや厚さなどいかなる意味でも大きさをもちません。したがって、それを分割することはできず、幾何の考察の対象となるすべての図形を構成する要素となります。すべての図形は点の集合であると考えます。
作図の道具であるペンは、平面上にある任意の場所に点を打つことができます。
定義I-1
点とはそれ以上分割できないものである。線(綫)
「線(綫,セン,会意・形声)」は岩穴から一筋わきだす泉のような糸のように細長いものを意味します。「泉(セン,象形)」は丸い穴から水が湧き出る様を描いています。両刃の剣に鳶口のように直角に長い柄をつけて敵を引っ掛けるように使った武器である「戈(ほこ,象形)」を二つ並べた「戔(セン,会意)」は、刃物で削りに削って残りが少ないことを意味し、それに糸をつけた「綫(セン,会意・形声)」は細い糸を表します。後に「線」が有力となりました。 幾何においては、点を運動させたときの軌跡のことを意味します。
線を作図するにはペン先を平面上に付けたまま運動させます。ペン先は広がりをもたないのでその軌跡である線も広がりをもつことはありません。ペン先の運動が重複しないとき、すなわち、運動の途中で同じ点を複数回通過することがないとき、運動を開始したときの点である始点と終了したときの点である終点をその線の端点といいます。
定義I-2
線とは長さをもち、幅をもたないものである。定義I-3
線の端は点である。 一般に平面上にある点の集合を領域と呼びます。領域が連結であるとは、領域に含まれる任意の二点に対して、それらを結ぶ線で、その線に含まれている点がすべて領域に含まれるようなものが存在するときのことをいいます。任意の線は領域と考えると連結です。端点は線からその点を除いた領域が連結であるような点として特徴付けることができます。
直線
直線とはまっすぐな線のことです。これは線を作図するときのペンの運動の方向が一定であることを意味します。定義I-4
直線とは点がまっすぐに並んだ線である。まっすぐであるということの意味は公準によって定めます。
公準P-1
任意の点から任意の点へ直線を引くことができる。 この公理をより精密なものにするために記号を導入します。平面上の二点A, Bについて、それらを結ぶ直線を[A,B]、[A,B]から端点Aを除いた点集合を(A,B]、[A,B]から端点Bを除いた点集合を[A,B)、[A,B]から両端点A,Bを除いた点集合を(A,B)と書くことにします。
平面上の領域が単連結であるとは、その領域に含まれる任意の二点に対して、それらを結ぶ直線に含まれている点がすべてその領域に含まれることをいいます。
公準P-1b
平面上の任意の二点A, Bについて、それらを端点とする直線[A,B]を引くことができ、次の性質を満たす。(1) | [A,B]と[A,B]から端点を除いた領域(A,B], [A,B), (A,B)は単連結である。 |
(2) | [A,B]から端点でない点Cを除いた領域は連結ではなく、二つの単連結領域の和[A,C) ∪ (C,B]に分割される。 |
直線の端点ではない点を内点と呼ぶことにします。直線は内点によって2つの単連結領域に分割されます。
公準P-2
任意の直線は、どちらの方向にもいくらでも伸ばすことができる。 この公準もより精密な表現にしておきます。
公準P-2b
任意の直線[A,B]において、次の性質が成り立つ。(1) | AからBへ向かう方向に点Cをとり、Bを内点とする直線[A,C]を引き、[A,B] ⊊ [A,C]とすることができる。 |
(2) | BからAへ向かう方向に点Dをとり、Aを内点とする直線[D,B]を引き、[A,B] ⊊ [D,B]とすることができる。 |
面
「面(メン,指事)」は、人の頭部を表わす象形を、顔の輪郭を示す「口」で囲んで人の顔を表わします。 幾何においては、線に囲まれた領域を意味します。
定義I-5
面とは長さと広さをもち、容積をもたないものである。定義I-6
面の端は線である。平面
「平(ヘイ,象形)」は浮き草が水面にたいらに浮かんだ姿を描いています。平面とは限りなく広がる平らな面のことです。限りなく広がる平らな面であることを精密に表現すれば、単連結な面であり、そこに含まれる直線がどちらの方向にもいくらでも伸ばすことができるという公準P-1bと公準P-2bになります。定義I-7
平面とは直線が平らに並んだ面である。図形
図形とは幾何の研究対象となるもので、境界に囲まれた領域として定義されます。定義I-13
境界とは何かの端である。定義I-14
図形とは一つあるいは複数の境界に囲まれたものである。 直線を固定してその中だけの世界を考えれば、その直線内の二つの点を結ぶ直線はその二点を境界とする図形です。平面を固定してその中だけの世界を考えれば、その平面内の線に囲まれる領域は、その線を境界とする図形です。空間内で面に囲まれる領域は、その面を境界とする図形です。
円(圓)
「員(イン,会意)」は、三つの足(四足のものを方鼎という)と二つの耳をもつ器で、後に祭器となった「鼎(かなえ)」の象形である「貝」と丸いものの象形である「口」を会わせて、丸い形の器を意味し、転じて丸い物、物を数える単位を表わすようになりました。「圓(エン,会意・形声)」は「員」と丸いものの象形である「口」をさらに会わせて、丸いことを意味します。後に略されて「円」となりました。 ユークリッドは円を次のように定義し、円が描けることを公準3としています。
定義I-15
円とは円周と呼ばれる一つの線の境界で囲まれた平面図形であって、その中にある一つの点から円周上の点に引かれた直線の長さがすべて等しいようなものである。定義I-16
そして、その点を円の中心という。公準P-3
任意の中心と任意の半径(中心から円周までの直線のこと)の円を描くことができる。 一見、簡単にも思える記述ですが、ここにはとても多くの内容が含まれており、ユークリッド幾何学の核心部分といってもいいでしょう。
長さ、角度や面積のような量をある性質を満たす零元を持つ順序半加群として定式化する。ここではその準備として順序半加群を定義し、その計算法則を導く。
原論には零の概念が出てこないが、すべての順序半加群を為す量に対して、次の性質を持つ量0を付け加える。
これにより、量の加法的構造に単位元が加わり、量に関する代数的な証明を簡略化することができる。量0には、長さや面積を考える場合は点、角度を考える場合は二つの直線が同一直線上にあることという図形的な意味を与えることができる。
(i) | 0以外の任意の元aについて、0 < a |
(ii) | 任意の元aについて、a + 0 = 0 + a = a |
定義2.1.3 半加群
集合Sの2つの元a,bについて加法a+b∈Sが定義されていて次の性質を満たすとき、Sは半加群semimoduleであるという。(可換律) | 任意の2元a,bについて、a + b = b + a |
(結合律) | 任意の3元a,b,cについて、(a + b) + c = a + (b + c) |
(零元) | 0∈Sが存在し、任意の元aについて、a + 0 = 0 + a = a |
以後、半加群はすべて零元を持つと仮定する。
定義2.1.5 順序
集合における任意の2元の関係≦が次の性質を満たすとき、その関係を順序orderまたは半順序semiorderという。(反射律) | 任意の元aについて、a ≦ a |
(反対称律) | 任意の2元a,bについて、a ≦ b, b ≦ a ⇒ a = b |
(推移律) | 任意の3元a,b,cについて、a ≦ b, b ≦ c ⇒ a ≦ c |
(全順序) | 任意の2元a,bについて、a ≦ b または b ≦ a |
a ≦ b かつ a ≠ bのとき、a < bと書き、a ≧ b かつ a ≠ bのとき、a > bと書くことにする。
定義2.1.7 順序半加群
集合Sが線形順序が付けられた半加群であり、次の性質を満たすとき、Sは順序半加群ordered semimoduleであるという。(単調性) | 任意の3元a,b,cについて、a < b ⇒ a + c < b + c |
順序半加群においては次の計算法則が成り立つ。
命題2.1.9 順序半加群の計算法則
順序半加群Sにおいて、次が成り立つ。(1) | 任意の4元a,b,c,dについて、a < b, c < d ⇒ a + c < b + d |
(2) | 任意の2元a,bについて、0 < a ⇒ 0 < a + b |
(3) | 任意の2元a,bについて、0 < b ⇒ a < a + b |
(4) | 任意の3元a,b,cについて、a = b ⇔ a + c = b + c |
(5) | 任意の3元a,b,cについて、a < b ⇔ a + c < b + c |
証明
(1) 定義より、a + c < b + c, c + b < d + b(2) (1)を適用する。
(3) 単調性を適用する。
(4) ⇒は集合の元として同じものを別の記号で表していることから。⇐はa < b, b < aのどちらを仮定しても単調性より矛盾が生ずることから。
(5) ⇒は定義であるから、⇐はb < aを仮定すると単調性より矛盾が生じ、a = bを仮定すると(4)より矛盾が生ずることから。■
平面上の運動を比喩的に表現すれば、平面上にある直線図形が与えられたときに、その図形にぴったり重ね合わせることができる型紙を作って、その型紙を平面上の任意の場所に任意の置き方で置き、型を写し取ることによって作図することである。実数論から構築したユークリッド平面幾何学においては、平面上の運動は任意の2点間の距離を変えない変換として定義され、その全体は群を為すことから、2次元ユークリッド空間の運動群と呼ばれている。さらに平面上の運動は平行移動、回転、折り返ししかなく、GL(3,ℝ)の中に次のように表現できることがわかっている。
| : |
| ∈SO(2), |
| ∈ℝ2 |
原論のこの段階においては、自然数の存在だけを前提としているので、平面上の運動とは平行移動、回転、折り返しとそれらの組み合わせのことであると定義する。この定義の根拠として、次の三つの補題を原論の枠組みで証明しておく。
補題2.2.3 直線の平行移動
与えられた直線とその端点を、与えられた点がその端点に対応するように平行移動することができる。補題2.2.5 直線の回転
与えられた直線をその端点を中心とし、与えられた直線角だけ回転することができる。補題2.2.7 直線の折り返し
与えられた直線を与えられた無限直線に関して折り返すことができる。 これらの補題によって、直線図形について次の定義が妥当であることがわかる。