原論における量の概念
著者:梅谷 武
ユークリッド原論における長さと面積の取り扱い方から、量の概念を抽出し、集合論を使った定式化を試みる。
作成:2006-08-18
更新:2011-03-10
原論第I巻の公理は量に関する公理と考えることができます。原論においては、量を具体的な実体をもつ対象としては考えず、これらの代数的な公理やさまざまな幾何学的な命題でその性質を特徴付けようとしています。また、原論の文章は図形とその長さや面積を言葉の上では区別しないで、その文脈で判断するように書かれています。ここでは量を具体的な実体をもつ対象として構築し、図形とそれに付随する量をはっきりと区別することから始めます。
 平面幾何学に話を限れば、原論では点・直線・三角形などの図形が存在する基盤となる平面をまず考えます。そして、その平面上を図形が自由に運動できるものとします。原論の考察対象となる図形は平面上を自由に平行移動し、回転し、裏返すことができます。原論において運動できるということは作図できるということと同等で、基本的な作図法が可能であることを公理として認めれば、すべての運動が作図できることを証明しています。この運動によって二つの図形を重ね合わせるという操作が可能になり、この操作で二つの図形を比較するときに量の概念が発生します。
 平面を点集合、図形を平面の部分集合とすると、運動によって重ね合わせができるという関係を同値関係と考えることによって、図形の同値類の集合を考えることができますが、これを使って量の概念を定式化することができます。
 まず、直線と長さを考えましょう。ユークリッドは有限の立場をとっていますから、直線といった場合、今日の線分の意味であることに注意してください。二つの直線の長さが等しいということは直線全体の集合F0の同値関係になっていますので、直線の等長類の集合を考えることができます。これをLとします。これが長さという量の集合です。さらに、任意の直線に対して自分自身が属する同値類を対応させる自然な写像
q:F0={直線} → L={直線の等長類}
が定まります。
 集合Lの2つの元a,bについて、その和をそれぞれの同値類から任意に二つの直線を選び、それらの直線を同一直線上でつなぎ合わせた直線の長さとして定義します。この定義は同値類からの直線の選び方によらずに定まります。点も直線と考えて点の長さを0と書くことにすると、Lはこの加法に関して半加群になっています。

定義1.6 半加群

 集合Mの2つの元a,bについて加法a+b∈Mが定義されていて次の性質を満たすとき、M半加群semimoduleであるという。
(可換律) 任意の2元a,bについて、a + b = b + a
(結合律) 任意の3元a,b,cについて、(a + b) + c = a + (b + c)
(零元) 0∈Rが存在し、任意の元aについて、a + 0 = 0 + a = a
 二つの直線を同一直線上で重ね合わせて、比較することでその大小を定めることができますが、これはLの全順序となり、この順序について順序半加群になっています。

定義1.8 順序

 集合における任意の2元の関係が次の性質を満たすとき、その関係を順序orderまたは半順序semiorderという。
(反射律) 任意の元aについて、a ≦ a
(反対称律) 任意の2元a,bについて、a ≦ b, b ≦ a ⇒ a = b
(推移律) 任意の3元a,b,cについて、a ≦ b, b ≦ c ⇒ a ≦ c
さらに、
(全順序) 任意の2元a,bについて、a ≦ b または b ≦ a
を満たすとき、その関係を全順序total orderまたは線形順序linear orderという。
a ≦ b かつ a ≠ bのとき、a < bと書くことにします。

定義1.10 順序半加群

 集合Mが全順序が付けられた半加群であり、次の性質を満たすとき、M順序半加群ordered semimoduleであるという。
(単調性) 任意の3元a,b,cについて、a < b ⇒ a + c < b + c
 順序半加群においては、原論でよく使われる量に関する性質が成り立ちます。

命題1.12 順序半加群の性質

 順序半加群Mにおいて、次が成り立つ。
(1) 任意の3元a,b,cについて、a = b ⇔ a + c = b + c
(2) 任意の3元a,b,cについて、a < b ⇔ a + c < b + c
 順序半加群の元a∈Mと自然数n∈ℕについて、
na ≔ a + ⋯ + a (n個の和)
と定義することによって自然数を作用させることができます。
 二つの直線についてその長いほうから短いほうを切り取ることができますが、それによってLに引き算を定義することができます。また、直線を二等分することができることから、Lは量が満たすべきすべての代数的性質をもっていることがわかります。

定義1.15 量

 集合Qquantityであるとは、順序半加群であり、さらに次の性質を満たすことをいう。
(Q1) 任意の2元a,bについて、a ≦ bならば a + c = bとなる c∈Qが唯一つ存在する。このとき、c = b - aと書く。
(Q2) 任意の元aについて、c + c = aとなる c∈Qが唯一つ存在する。このとき、c = (1/2)aと書く。
 ここでは幾何学の公理系を具体的にどうすべきかということには触れませんが、その公理系から直線の長さという量の集合を生成し、加法と順序を定義した場合に、それらが満たすべき代数的性質はこのようなものであろうという仮説を提示しています。量という概念が天与のもので公理によってそれを特徴付けるのではなく、幾何学の公理系(公準)から量を具体的な対象として構築するという方法です。
 この理論展開にはまだ整数、有理数あるいは実数の概念が現れていません。通常、量の理論といった場合、実数論を既知の事実とし、実数から量を構築していきますが、ここではその立場をとりません。田村二郎先生の『量と数の理論』の量から数を構築していくという考え方に基づいていますが、さらにユークリッド原論の本来の姿をそのまま再現しようとしています。順序半加群等一般的ではない用語や概念については彌永昌吉先生の『数の体系(上・下)』(岩波新書)を参考にしています。
 幾何学はエジプトやバビロニアを起源とするもので、古代ギリシャ文明が勃興する以前に土地の測量や土木・建築のために使われていました。長さ×長さ=面積という公式もその時代から広く使われていて、さまざまな図形の面積を計算する技術は古代ギリシャ文明以前に確立しており、それらは古代ギリシャにも伝わっていました。
 19世紀末にZeuthenは原論第II巻は本質的に代数的な内容を持つものとしてこれを「幾何学的代数」と呼びました。20世紀前半にNeugebauerはバビロニアの数学文書を解読し、その2次方程式の解法が原論第II巻の方法と酷似していたために、バビロニアの代数が幾何学的代数の起源であるとしました。その後、現在に至るまでさまざまな議論がなされていますが、古代科学を現代科学の基準で判断することは基本的に間違っており、バビロニアの代数を幾何に置き換えたものというような単純な解釈は適当ではないということでは認識が一致しているようです。
 ここでは前節の準備に基づいて、原論第II巻の目的は面積という量の構造を決定することにあるという解釈を与えます。(なお、等積性の定義はヒルベルトの『幾何学基礎論』の平面における面積の理論と同等です。これが立体幾何学へは単純に拡張することができないということは、ガウスが注意し、ヒルベルトの第3問題の否定的な解決としてデーンによって与えられました。ヒルベルトはこれについてカヴァリエリの原理のような補助手段を導入することを提案しています。)
 直線図形とその面積について考えます。直線の場合と異なり、二つの直線図形の面積が等しいということとそれらが合同であるということは一致しません。二つの直線図形が等積であるとは、それらを適当に三角形に分割すると、それぞれで分割した三角形の集合が一対一に対応し、なおかつ対応する三角形どうしが合同であるようにすることができることであると定義します。
 すべての直線図形の集合をF1、その等積類をM1とします。M1が量になることは直線の場合と同様に平面幾何学の公理系から作図によって示すことができます。任意の直線図形に対して自分自身が属する等積類を対応させる自然な写像を
q:F1={直線図形} → M1={直線図形の等積類}
とします。
命題I-45からすべての直線図形について、それと等積な長方形を作図することができますから、すべての長方形の集合をF2とすると、qF2への制限
q:F2={長方形} ⊂ F1 → M1={直線図形の等積類}
は全射になることがわかります。いいかえれば、任意の直線図形の等積類の代表元として長方形を選ぶことができます。
 長方形は合同の意味で縦と横の直線の等長類で決定されますから、a,b∈Lに対してaを縦、bを横とする長方形の等長類をa⊗bと書くことにすると、全射
L × L → M1, (a,b) ↦ a⊗b
が定まります。第II巻の命題をこれまで準備した記号や概念で書き換えてみましょう。
 命題II-1から命題II-10までは写像
L × L → M1, (a,b) ↦ a⊗b
の双線形性を示しています。

命題II-1

 二つの直線が与えられ、その一つの直線が任意の個数に分割されているとき、二つの直線によって定まる長方形の面積は、分割されていない直線と分割された直線の部分によって定まる長方形の面積の和に等しい。
a⊗(b+c+d) = a⊗b + a⊗c + a⊗d

命題II-2

 直線が分割されるとき、全体の直線と各部分によって定まる長方形の和と全体の直線によって定まる正方形の和は等しい。
(a+b)⊗a + (a+b)⊗b = (a+b)⊗(a+b)

命題II-3

 直線が二分割されるとき、全体の直線と一つの部分によって定まる長方形は、二つの部分によって定まる長方形と最初の部分上の正方形の和に等しい。
(a+b)⊗b = a⊗b + b⊗b

命題II-4

 直線が二分割されるとき、全体の直線上の正方形は、各部分上の正方形と二つの部分によって定まる長方形の二倍の和に等しい。
(a+b)⊗(a+b) = a⊗a + b⊗b + 2(a⊗b)

命題II-5

 直線が半分と不等分に分割されるとき、不等な部分どうしによって定まる長方形と半分と不等な部分どうしの差によって定まる正方形の和は、半分によって定まる正方形に等しい。
(a+b)⊗(a-b) + b⊗b = a⊗a

命題II-6

 直線が等分され、それが延長されるとき、延長部分を含めた全体の直線と延長部分によって定まる長方形と元の直線の半分によって定まる正方形の和は、元の直線の半分に延長部分を加えた直線上の正方形に等しい。
(2a+b)⊗b + a⊗a = (a+b)⊗(a+b)

命題II-7

 直線が任意に分割されるとき、全体の直線上の正方形と一つの部分上の正方形の和は、全体とその部分が定める長方形の二倍と残りの部分上の正方形の和に等しい。
(a+b)⊗(a+b) + b⊗b = 2(a+b)⊗b + a⊗a

命題II-8

 直線が任意に分割されるとき、全体の直線と一つの部分で定まる長方形の四倍と残りの部分上の正方形の和は、全体の直線にその部分を付け加えた直線上の正方形に等しい。
4(a+b)⊗b + a⊗a = (a+2b)⊗(a+2b)

命題II-9

 直線が半分と不等分に分割されるとき、不等な部分上の正方形の和は、半分と不等な部分どうしの差によって定まる正方形の和の二倍に等しい。
(a+b)⊗(a+b) + (a-b)⊗(a-b) = 2(a⊗a+b⊗b)

命題II-10

 直線が二等分され、それが任意に延長されるとき、延長部分を含めた全体の直線と延長部分上の正方形の和は、直線の半分上の正方形と残りの半分に延長部分を加えた直線上の正方形の和の二倍に等しい。
(2a+b)⊗(2a+b) + b⊗b = 2(a⊗a+(a+b)⊗(a+b))
 命題II-11は第II巻の他の命題とはやや意味合いが違っていて、外中比に分けること、いわゆる黄金分割することの意味を面積を使って表しているものと考えられます。

命題II-11

 直線を分割して、全体の直線と一つの部分が定める長方形と残りの部分上の正方形が等しくなるようにすること。
(a-x)⊗(a-x) = x⊗a
 命題II-12と13はピュタゴラスの定理の拡張であり、今日、三角関数の余弦定理と呼ばれているものです。

命題II-12

 鈍角三角形において、鈍角に対する辺上の正方形は、鈍角を挟む二辺上の正方形の和より、鈍角を挟む一つの辺とその辺の延長へ下ろされた垂線までの延長部分によって定まる長方形の二倍だけ大きい。
c⊗c = a⊗a + b⊗b + 2(b⊗d)

命題II-13

 鋭角三角形において、鋭角に対する辺上の正方形は、その鋭角を挟む二辺上の正方形の和より、鋭角を挟む一つの辺とその辺へ下ろされた垂線により分割される部分によって定まる長方形の二倍だけ小さい。
c⊗c = a⊗a + b⊗b - 2(b⊗d)
 命題II-14は写像
L → M1, x ↦ x⊗x
が全射であることを示しています。x<y⇒x⊗x<y⊗yが成り立ちますから、この写像は順序を保つ全単射となり、長さと面積は順序集合として同型であることがわかります。

命題II-14

 与えられた直線図形と等しい正方形を作図すること。
数  学
半加群 semimodule
順序 order
半順序 semiorder
全順序 total order
線形順序 linear order
順序半加群 ordered semimodule
quantity
 
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