明日香風
著者:梅谷 武
2008年4月8日 明日香風調査記録
作成:2011-04-02
更新:2011-04-04
更新:2011-04-04
539年に推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政になったときから、持統天皇が694年に飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都するまでの約100年間、現在の奈良県高市郡明日香村周辺に宮が置かれていました。
天武天皇の死後、皇位継承した持統天皇は、最有力の皇位継承者であった草壁皇子の死後、本格的な唐風の都である藤原京を造営し、遷都します。その後、間もない時期に天武天皇の兄天智天皇の皇子である志貴皇子が次のような歌を詠んでいます。
采女の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く
飛鳥の宮では采女(うねめ)の袖を吹きかえす明日香風が吹いていたが、今はその風はただむなしく吹いているだけである、という飛鳥の宮を懐かしむ歌です。明日香村には現在でも朝風という地名が残っていますが、朝、日が昇って山腹が温められると上昇気流が発生し、それが明日香川沿いの谷間を吹き上がっていきます。この谷風が明日香風です。逆に夜になると山腹の温度が下がり、下降気流が発生し、谷間を下り、山風となって吹き下ろします。
一般に渓谷を流れる川において、同じような現象が起こることがあります。
2008年4月8日午前にこの飛鳥川渓谷沿いを徒歩で登り、この明日香風が実際に吹き上がるかどうかを調査しました。
当日は朝から小雨が降るあいにくの天気でしたが、午後から晴れるという
予報に期待して7時55分に近鉄吉野線飛鳥駅を出発しました。
8時54分に朝風峠に到着しましたが、このとき飛鳥川渓谷には霧が発生しており、風の流れを観察するには千載一遇の機会に恵まれたことに気がつきました。しかし、残念なことに小雨のため、防水されていないカメラはザックの中にしまう他なく、目視で観察するしかありませんでした。途中撮影した数少ない写真の中に、一枚だけ朝霧が吹き上がっている様子が写っていたものがありました。
9時6分:男綱
9時30分:南渕請安の墓
9時43分:飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社
9時51分:明日香風撮影(朝霧が右から左へ谷間を吹き上がっていく)
10時1分:女綱(ここから引き返す)
なお男綱・女綱には結界という意味があるらしいです。
より大きな地図で 明日香村 を表示
霧が発生したことにより、渓谷を吹き上げる谷風が存在することを目視確認することができました。これが朝風なのか、それとも偶然発生した現象なのかははっきりと判断がつきません。出発時は小雨でしたが、谷を登っていくにつれて徐々に晴れて明るくなってきました。南渕請安の墓を過ぎて、谷が狭くなってくるにつれて霧の流れが速くなりましたが、これは流体力学のベルヌーイの定理で説明できるような気がしています。
後日、藤原京跡を訪れましたが、飛鳥浄御原宮跡から約2kmの距離で、目と鼻の先にあります。この藤原京で明日香風が吹かないのは地形図を見るとわかるように、藤原京が平野部に出ているのに対し、飛鳥宮は谷間にあるという違いからでなのでしょう。
この明日香風という現象は、物理学あるいは気象学で理論的に説明できると思われますが、具体的には調べていません。
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