珠玉のコメント集
著者:梅谷 武
旧初等数学雑考ブログに書き込んでいただいた宮本先生による珠玉のコメント集です。
作成:2006-07-09
更新:2011-03-10
僕は、このごろ授業するときは、小学校以来の知識を整理しています。小学校でどのように勉強してきたかということが、案外、現代数学を本格的に勉強するときに役に立ちます。
たとえば、小学校から高校までに「面積」についての扱いを見ていると、自然と、二つの量の空間(ベクトル空間)のテンソル積の定義が浮き上がってきたりします。
また、整数の10進構造をきちんと復習した後で、そのアナロジーとしての多項式を考えたりすると、
 x^2 と x の和  x^2 + x
の+の意味が、どのようにごまかされているのか、あるいは、ちゃんと定義するときにはどのようになっているかが、なるほどと、わかります。
もう一つ・・・幾何学の扱いについて・・・
 身の回りの空間のなかでの
  素朴な図形の科学 としての 素朴幾何学
 と、むかし、私達が高校で勉強した

 解析幾何へと繋がる、代数的な扱いの幾何と

 今の高校の教科書は、混在するようになってきた

 だから、ちょっとそこらへんは、整理して
 あげたいよね・・・。
宮本さん、コメントありがとうございます。
小学校から始めるという話はごもっともです。初等幾何学でも面積をちゃんと定義するのはなかなか大変そうです。どうやら、この辺について宮本さんは面白いアイディアをお持ちのようですね。もしよろしければもう少し詳しく教えていただければと思います。
それから幾何学の分け方ですが、一つは座標を使うか使わないかでわけるという方法があると思います。つまり初等幾何学では座標を使わずに、座標を使う幾何学は座標幾何学あるいは解析幾何学というような名称にするのがわかりやすいと思います。
また、座標幾何学も実座標と複素座標、あるいはユークリッド空間と射影空間のように空間別、さらには中級では変換群別にわけるというような感じがいいように思います。
これらについては小浪さんや田崎さんのお考えも聞いてみたいところです。
P.S.
この話、面白くなりそうでしたので、このブログを普通のブログのようにトラックバックを受け付けるようにして、なおかつ最新の書き込みがサイドバーに表示できるようにしました。それからpisan-dub.jpのトップからリンクしました。
負の数をどういうものとしてとらえるのかを考えたときに、背景として、Affine space を念頭において考えていったほうがいいと思っています。
つまり、
  目盛りのついた空間と
  変化の空間
の2つを考えることになります。
足し算を考えるときには
  目盛り+変化=目盛り
という足し算と
  変化+変化=変化
という足し算の異なる足し算があります。
掛け算をかんがえるときには、変化量という
線形空間の変換あるいは線形写像を考えることに
なるわけで、そういう事情を考えると
「負の数」というものを変化量という空間で考え
初めていくのが、統一性をもった説明ができるのではないかと考えています。
どんなものでしょうか?
このブログのスタイルやデザインを少し改造しました。初等数学ではやはり文字を少し大きくした方がいいようですね。それからカテゴリーを小浪さんご指定のようにしました。
宮本さんの意見について補足しますが、ユークリッド原論を読んでいると、数というのはものの個数のことで、長さ、角度や面積は量であって、数として扱っていないんですね。そして量はまさに線形代数のように扱っているわけです。これには感動しまして、すっかりとりつかれてしまいました。
数と量の概念についてユークリッド原論はとても参考になると思います。
宮本さんのおっしゃるとおり,中学校で負の数を含めた加法を説明する方法には上の二通りあります。
私がはじめてこの原稿を書いたとき,どちらで書こうかずいぶん迷い,ひとまず
 目盛り+変化=目盛り
の方を採用しました。今読み直してみると,「異符号の2数の和」はすっきりしませんね。
今回は,
 変化+変化=変化
で説明を書いてみようかと思います。
数学教育の問題点は、和算が廃止され学校で洋算だけを扱うようになったときに国定教科書が、「量」の考察をいっさいなく計算だけを扱っていて、よくも悪しくもそれが今に大きく影響しています。
量について、ユークリッドの扱いのところまで行っていないわけですよね。
そこを何とかしようという教員たちの実践の積み重ねがあって、その流れの上に、私達が大学1年のときに出版されたNHK出版からでた、小島順先生の「線形代数学」があります。
かなり独特の扱いですが、あの本の目指すところを理解する人は、新課程の子供達のなかからは出ないのではないかと心配しています。
小島順の『線型代数』は丸善で立ち読みしたような記憶があります。bk1・amazonともに取り扱っていないようなので今度、神保町で探してみます。
あの本は、かなりセンセーショナルで、当時の数学セミナーで、小島順先生が連載したり田村二郎先生が連載したり(後に単行本となった)してました。
今の指導要領の流れでは面積の扱いについて、長さ×長さが面積になるところ、どのように理解するべきか、考える余地があります。
今日、時間が空いたので国会図書館に行って、
  • 小島順「線型代数」
  • 田村二郎「量と数の理論」
  • 数学セミナーのバックナンバー(1977,1978)
を見てきました。はっきりと思い出しましたが、学生時代にこれらすべてに目を通しています。しかし、当時の私にはこれらを消化する準備ができていませんでした。今日、これらの文献を眺めていて目からうろこが落ちました。これについてはさらに調べてまとめてみようと思います。
雑感を書いておきますと、1932年生まれの小島先生はおそらくユークリッドを精読はされていないと思います。数セミの連載にこの発想がブルバキによるとはっきり書いています。一方、この小島先生の本や連載を読まれた1920年生まれの田村二郎先生はユークリッドにかなり精通されていますね。小島先生がブルバキからヒントを得て作り出した現代代数の素材を元にして、ユークリッド原論における量の代数を料理したものが「量と数の理論」ではないでしょうか。最近、ユークリッドを少しずつ精読しているのですぐにピンときました。
ヒルベルトの「幾何学基礎論」や小平先生の「幾何のおもしろさ」の量の代数の取り扱いにやや不満を感じていましたが、小平先生の構想を小島先生や田村二郎先生の理論で補えば、最高の初等幾何の教材ができるのではないでしょうか。これは数学だけでなくそのまま物理や工学の基礎にもなると思います。
小平先生が言いたかったのは脳科学的に表現すれば、右脳(直観)と左脳(論理)のコラボレーションをもっとやりなさいということではないでしょうか。現代の数学者はどうしても左脳だけですべてを処理しようとしてしまいます。それで大局を見誤ってしまっているということがあると思います。もっとも慣習としてそういう訓練を長年続けているのでしょうがない面はあるのですが。
それから小島先生の量のテンソル積についてですが、電磁気学に出てくるさまざまな量の理解に苦労してきた私にとってはやっと物理を数学として理解できる糸口を見つけたような感じです。
宮本さんのおかげでこれまで迷っていたことの方向性が見えてきました。ありがとうございました。
ところでこれらのテーマはその後、どのような発展を遂げているのでしょう?

miyamoto 2006-07-28 @ 04 46

例えば分数の掛け算がどうして分母同士・分子どうしかければいいということを理解しようと思ったときに、「掛け算」についての理解が、
  2×3=2+2+2
といった累加だけしかイメージがない場合には説明できません。「変換」としての掛け算のイメージが必要です。それにまつわって、量と量の間の線形写像としての理解のようなことが大事かなと思っています。
高校になって、微積分法を考えるときに、
  f(x)=f(a)+∫^{b}_{a}g(x)dx
という式の意味が
  目盛り=目盛り+変化(の総和)
であったり、f'(x) が
  変化量=目盛りー目盛り
といったことと、さらに
  f(x)dx
のいみするところが、量の線形写像としての
  速度×時間
だったり
  長さ×長さ
だったりするところを、統一的に説明していきたいところです。
 さらに、大学において、これを多変数化して ベクトル解析となり、物理で登場するいろいろな量を、おなじ線の上で議論ができるといいと考えています。
仕事に追われて読みたくても読めないでいる 有馬哲・浅枝陽 著「ベクトル場と電磁場」 という本があります。これには続編があって、 特殊相対性理論までを射程においています。
また、大森英樹先生の晩年の本なんか読んでいると、おそらく、私の理解したい方向をさらに微分幾何まで貫いているお話しのような気がしているのですが、これもまだ読みきれていません。
小学校で量の理論をベースにした説明を実践しているグループがあります。あの遠山啓先生が率いていたのですが。
文部省の執拗な攻撃の中、現在では、彼らの指導方法がいつの間にかいろんな会社の教科書の中に忍び込んでいて、実質的に勝利している状態です。やっぱり、きちんとした数学的理論の裏打ちのある指導法はいいものとして生き残っていきます。
しかしながら、現在、このグループの先生たちの持っている数学的な知識というか、数学を学んだことによる啓かれた精神状態というか、そういう状態にちょっと遠いところにあるようなきがしていて、その後の発展がありません。
小島先生の数セミの連載を読むと、遠山啓先生と銀林浩先生の著作が盛んに引用されているので、やはりそこまでさかのぼって調べる必要がありそうですね。
ところで、文部省検定では小学校の教科書で
3cm×4cm=12cm^2
と書くと落とされるという話がのっていましたが、これは今でもそうなのでしょうか。
先日の学力調査で計算の意味の理解が不足しているという結果がでていましたが、そもそも計算の意味をあまり教えていないような気がします。
遠山先生と銀林先生の量の理論についての本は、一応、全部読んで分かっているつもりです。
小学校では、単位はつけない方向で教えられているはずです。一部良心的な教員が、単位つきでおしえようとしていますが、そのための理論的な裏づけを、彼らにわかるような言葉で書かかれた書物が必要です。小島先生の本は、なかなか彼らには読めない・・・
そもそも、量というような数学とは違うものから離れて、純粋に数学に向かう・・・というようなことを、ときの文部省ご用達学者が言っているので、教科書では単位をつけると検定が通らないのではないかと思います。
小島先生はブルバキズムを完全に身に付けていらっしゃいますので、線型代数とは「線型空間をobjectとし、線型写像をmorphismとするカテゴリーの理論」であるとおっしゃっておられます・・・
(最近は線形と書くようですね)
初等数学入門の立場としては小・中学生でもわかるような自然で初等的なテンソルの導入法を田崎さんに相談しながら考えてみようと思います。
それから、日本語では数学と訳されているマテーマタは数と量を研究する学問であるというピュタゴラス派のアルキュタスの言葉を見つけました。この辺のことも近々書き込みたいと思います。
神保町で、
・田村二郎『量と数の理論』
・銀林浩『量の世界』
を入手することができました。それから数セミの1977/1978のバックナンバーですが、なんと自宅の書庫の片隅にほとんどすべて揃っていました。そういえば当時、数セミを購読していたのでした。^^;
この数セミのバックナンバーですが、引越しを繰り返している間に雨漏りにあってページがくっついて開けられなくなったために書庫の奥にしまって何年もたちますが、今はやっと乾いて読めるようになっていました。
それから小島先生の『線型代数』には破格のプレミアムがついているようで、当方が見た値札には7千円と書かれていました。小島先生の考え方は大体数セミの連載に書いてありますので、これはちょっとあきらめました。
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