『四元法講義』序
著者:木村 駿吉
語句:四元数, 四元法
木村駿吉述,波木井九十郎編, 四元法講義 第1冊, 1897, 内田老鶴圃の序文をHTML化する。可能な限り原文に忠実にUNICODEテキスト化しているが、フォントが存在しない旧字、合字等は意味が通るように変換している。
作成:2010-05-25
更新:2014-08-16
 玆に出版する四元法講義録は第二高等學校内逢原會に於て有志者の爲に講義したる稿本を修正したるものにして先ず緒論のみを公にするは聽衆諸氏の便を計りしが爲なり然れ共四元法の妙味は本論及び其應用に至らされは解すると能はざるなり
 講義に臨んで参考にすべき書籍論文の殆ど皆無なるにより原料は余の家藏に係る數部の書と余か甞て外國大學の書籍館に就て讀しものゝ記臆と手記したる片々に由れり此の如きが故に注意は十分に加へたれ共偶然の誤なきを保し難し讀者幸に之を指摘するの勞を惜まずんば幸なり
 ヴェクトルの觀念は普通の讀者に取て多少新奇なるものたるべければ第一回讀に於て粗雑に之を讀了し且雑ゆるに舊知のコオルデネート式觀念を以てするも可なり第二回讀に於ては舊觀念を全く去り時間を厭わす一歩々々嚴蜜に穿鑿して讀了すべく第三回讀に於て良く文字間の白紙を讀み自得する所ありて新問題を自ら研究するの余地を作るべし第二冊四元法本論は二ヶ月の後に公にすべき豫定なり
 本講義録の編輯及印刷中校正の事は同僚學友たる波木井九十郎君の任じて之に當られしものにて同君の丁寧綿密なる穿鑿と注意とに因て多數の疎漏を補修するを得たり玆に同君に向て深謝の意を表す
明治卅年四月 仙臺に於て
木村駿吉識

 數學は一箇の觀念を系統を立て矛盾なく發達進陟せしめたるものなり故に其源は哲學的考按に起りて天才の直覺に現はる而して數學の進歩とは觀念の益高くなり從て範圍の益擴くなりて其以前の數學の及ぶ可からざる所に達し或は又其以前の數學か表面上に説明し去りし事に明瞭直接なる内部の意義を付輿するものなり古往今來第一流の數學者たるものは此の如き進歩を數學に付輿する者にして一種或は數種の數學を布延する者は第二流の數學者と謂ふべく教科書を學生に説明するものゝ如きは學生よりも少しく早く世に生れ少しく早く學び得たるものと云ふに過ぎざるなり
 Newton, Leibnitzの數學は何れも哲理より生じHamiltonの四元法, Grassmannのアウスデーヌングスレーレ亦深く其源を哲學思想より起す而して其大成するや一朝一夕の事に非ず胚胎,生育何れも學者の刻苦經營の痕を刻し後學の者之を觀之を察して巍々なる大厦を仰望するが如く崇敬欽慕の思に充つる盖し至情ならんか余かハミルトンの數學を獨習するに當て常に宗教的敬虔の感ありしは故なきに非すと信す故に今余か之を諸君の前に講する機會を得たるは余の愉快に堪へざるものなり
 四元法の發明は元三ヂメンション即ちユークリヂアン空間にコンプレックス量(Complex quantity)を平面に用ゆると同様の法を擴張せんとする志望に胚胎しハミルトンの時及び空間(Time and Space)に於ける哲學的觀念によりて其緒を得遂に彼の四元橋上に於ける先生の直覺に由て大成を豫期せられしものなり
 代數的方程式の根に實數及び虚数の和即ちコンプレックス量を以て表はさるべきものあり幾何學上此量を表すに實線と虚線より成る所の平面上の一點を以てするはWallisか始めたることにして其書(Treatise of Algebra,1685)に記載されたりしか漸く1806年に至てArgandは此の如き二點に引かれたる二線の積を求むることを能せしが今日より之を見れは簡単なる四元數に外ならさるものなり而して近年に到てCauchy,Gauss等の大學者輩出して此の如きコンプレックス量の數理を發達せしめ遂に今日に到ては諸學校にて教ゆる微分學積分學も皆此量を變數とせるものとなり一概に之を言えは今日數學者の使用する量はa+b-1なるものにしてa又はbの如き實數に非さるものたるに到れり
 ハミルトンの哲學思想を以て漸次發達し來りし四元法の生育の順序詳細は載せて其初めの大著書(Lectures on Quaternions,Dublin,1853)にあり. R.P.Gravesのハミルトン傳に於て先生の書翰に依れは久しき間先生は唯空間内の方向ある線即ちトリプレットの數箇に加減法を施し得るのみにして愛兒等は毎朝食卓に就く度に父上未だトリプレットに乗除法を施し能はざる乎と問へり父は何時も悄然として答て曰ふ唯加減法を施し得る而己と豈に夫差勾踐の臥薪嘗膽に以て捿絶ならずとせんや一日先生夫人と共に散策したるに橋上に於て一箇終決の觀念は電光の如く先生の心意を鼓動せしめ先生は直ちに
i2=j2=k2=ijk=-1
と手帳に記入したり此日は則ち1843年十月十六日にして實に四元法の誕生日なり先生の書翰に依れば先生の喜非常にして學者らしくもなく之を橋の欄干に印刻せんとの思ひありしと而して愛兒等か其後此橋を名へて四元橋と云ひしを見れは先生一家の滿足も極て非常なりしものならん
 四元法の取扱ふ數量,四元數(Quaternion)なるものは如何なるものなりや幾何學的定義として四元數とは一箇方向ある線を廻轉し其長さを變じて他の方向ある線となす所のオペレートル(Operator)なり其代數的見解によれば四元數とは二箇の方向ある線の商又は其積にしてアナリチカル(Analytical)の形として四元數は一箇の方向なき量と方向ある量との和を云ふなり故に四元數には此等三種の見解あるか爲め其式は物理學及び幾何學的意義に富み各式の變形(Transformation)は普通持ゆる所の代數幾何學式の企て及ぶ所にあらず
 ハミルトンの四元法を發見せし以前Möbiusはバリセントリックカルキユラス(Barycentrische Kalkül,Leipzig,1827)なる數學を發明し此に於ては空間一點を以て數箇の定點に在る不定量の物質の重心としたるものなり而して其發達せしものは(Mechanik des Himmels,Leipzig,1843)に於て現はるゝヴェクトルの加減法に過ぎず
 其頃にBellavitisはMéthode des Équipollencesなる數學を發明したり此數學に於てはハミルトンのヴェクトルと同じく長さ及び方向を以て互に區別せらるゝ所の線を取扱ひ之をエクヒポレンスと名付て凡て一平面上に在る此の如き線を幾何學に應用したり
 凡て此等の數學は皆此の如くヴェクトルに歸着したれ共其研究は單に此等の加法及び減法のみに止まりて絶て此の如き量の乗法除法に説及ほすと能はざりしか其之を能くせしものは實にハミルトンの四元法とグラスマンのアウスデーヌングスレーレのみなりとす
 グラスマンの言に依れはアウスデーヌングスレーレの觀念は初めて1700頃ライプニッツのGeometrische Characteristikと名付けし論文に現はれグラスマンの父Justus Grassmannは其著(Raumlehre,Berlin,1824)及び(Trigonometrie,Berlin,1835)に於て平行四邊形は眞實幾何學的乗積を表はすものにして之を作る方法こそ幾何學的乗積なりと云ふ觀念を述べアウスデーヌングスレーレの發明者Hermann GrassmannはLagrangeのMécanique Analytique及びLagrangeのMécanique Célésteを研究せし結果としてストレッケ(Strecke)則ち運動(則ちヴェクトル)加減法及び乗除法に達し遂に1844に到て(Die lineale Ausbehnungslehre)の第一版を著はしたり然るに其翌年に到てSaint-Venantは之を知らずして別にストレッケの乗除法を案出して之をComptes Rendusに掲載せしめたり之を見てグラスマンは己れの著書の一部をサンヴェナンに他の一部を時の大數學者Cauchyに送りしか如何にしけん1853に到てコーシーはClefs Algebraiquesの名稱を付してストレックの乗除法をComptes Rendusに掲載せしか其方法たる毫もグラスマンが1844年に出版してコーシーに送りし著書に在るものと異ならざりしかばグラスマンはAcademie de Parisに向て己れのコーシーに先だって發明したる事の承認を求めたりアカデミーは玆に於て調査委員を設け其名をComptes Rendusに公にしたりか其後に到りコーシーよりも委員よりも絶へて一語の報告を公にせざりしは奇怪の事と云ふべきなり
 其後二年グラスマンは其弟Robert Grassmannと共同してアウスデーヌングスレーレに幾何學の範圍を脱出して其及ふべき丈の發達をなさしめんとして之を研究し之に依て數箇の著書を出版せり而して其一は1862年のAusdehnungslehre第二版なりとすグラスマンは此の極て貴重なる發明を能したるに拘わらず大學の教授たるを得さりしかば復數學に志さず専らサンスクリット字書編纂に従事して終に1877に遠逝せり獨逸國は數學に於て今日世界の覇権を握ると雖も此不世出の天才を精神的に殺したるの罪なしとせんや
 アウスデーヌングスレーレと四元法は實質に於て同一なり然して其差異の要點は代數學上の見解に於ては前者は遙に後者よりも一般なり幾何學上の見解に於ては前者はヂメンションの空間ヴェクトルを取扱ひ後者は三ヂメンション空間のヴェクトルを取扱ふものなり夫れ此の如しと雖も玆に極て緊要なる差異ありとす盖し三ヂメンションの空間に於て二箇の獨立せるヴェクトルの乗積又は除商は是等二箇のヴェクトルを含む所の平面に直角なるヴェクトルにして一定せるものなれ共nヂメンションの空間に於て此の如き乗積又は除商はn-2丈け在りて其中の何れなりや一定すると能はざるものなり
 故にアウスデーヌングスレーレに於ては四元法の如き簡單なる乗除法なくして之を三ヂメンションの空間に應用すれはSchlegelのGeometrische Calcülに認むるか如く其結果盡く四元法の結果と合同す
 今ハミルトンとDe Morganの間に往復せし書翰の中より先生の語を借りて之を述ふれは四元法の強點はFirstly, algebraic simplicity; secondly, geometric simplicity, easy of construction, above all symmetry of space, no one direction being preeminent; thirdly, determinateness of division, quotients being never indeterminate or impossible unless all constituents vanish.
 又普通のカルテシヤンコオルデネートの方法と比較するの語に曰く I feel that I hazard nothing in expressing my conviction that the new method is essentially more powerful than the old; and that only the cooperation of other persons is necessary in order to make manifest that intrinsic superiority of quaternions above coordinates, which may well remain a matter of doubt as long as the subject is left almost entirely in my own hand. 而してハミルトンの希望はMaxwell,Tait,McAulayの徒によりて空しからすなれり
 グラスマンのアウスデーヌングスレーレと比較するの語に曰く If I could hope to be put in rivalship with Descartes on the one hand and with Grassmann on the other, my scientific ambition is fulfilled. But it is curious to see how narrowly yet completely Grassmann failed to hit off the quaternions.
 又自身の觀念の斬新なることに就ての語に曰く Did it ever occur to any one to treat all lines in tridimensional space as equally imaginary, or all being square root of negative unity? And accordingly in my calculus my geometrical imaginary or the expression for impossible vector is +1. Did the idea that the product of opposite lines is a positive quantity occur to any body else?
 Sir William Rowan Hamiltonは1805年八月四日ダブリンに生れ十三才にして既に非凡の語學者たり新古歐州語の外ペルシア語,アラビヤ語,ヒンドースタニ,サンスクリット及びマレー語迄を能くし十六才にしてPrincipiaの大部分を咀嚙し十八才にしてMécanique Célésteを日課として學び此等の素養空しからすOn a General method in Dynamics; Varying Action及びConical Refraction等の研究は以て一世の泰斗と仰かるゝに足り其他無數の研究は載せてGraves. Life of Sir William Rowan Hamilton, vol. 3の終に在り其Lectures on quaternionsをSir J. Herschelに寄送するやハーシェルの禮状に曰く Here is a work for a twelve months for any man to read and half a life time to digest it. ハミルトンは長く職をAstronomer Royal, Irelandとして奉し自ら貧困なるBaronと稱してRoyal Societyの會員に撰まれしも僅に五磅の會費を拂ふこと能はさるに依て之を辭退せしを見れは先生の如きは貧困に安んじ名譽の外に逸出せし大學者なるべし先生の同時代の人はJ. Herschel, De Morgan, Mc Cullagh, Cayley, Wordsworth, Tennyson, Faraday, Whewell, Leverrier, Adams, Joachimstahl, Bessel, Mädler, Young, Bool, Airy等にして先生は此等大家の推尊する所なり1865年九月二日溘焉として逝去せらる而して六年以より逝去の前一二迄Elements of Quaternionsの著述に從事せられ米國政府より初めて外國の學者に送れる同國學界最高の名譽は實に先生の瞑目せられんとする時に到達したりと云う今や海陸万里此東洋先進國に於て先生の遺業を祖述するものあるを見ば先生の悦果して如何
 四元法に於てハミルトンの創意に係る三箇の要用なるオペレートルあり其一をq( )q-1となしqは四元數にして之を任意のヴェクトルρに働かしめはq ρ q-1は一箇のヴェクトルにしてρqの軸を軸として圓錐的にqの角度の二倍丈け廻轉したるものなり故にq( )q-1なるオペレートルは名付て圓錐廻轉(Conial rotation)のオペレートルと云ふべし
 第二のオペレートルを名付てリニアールヴェクトルファンクション(Linear vector function)と云ひ之をρにオペレートせしめてφ ρと書す而して物理學に於てφ ρはホモゲン歪(Homogeneous strain)を表はし彈性論の基礎たるものにして物理學に於て彈性論の如何に大切なるかを知らばφなるオペレートルの要用なることも亦明かなるべし又ρを以て電動力を表すヴェクトルとすればφ ρは一般の電氣的變位(Electric displacement)を表すものなり而してφなるオペレートルは又ホモゲン二次凾數(Homogeneous quadratic function)を研究するに當て極て便利なるものにして此の如き函數は物理學に於てエネルギーの式として常に現はるゝ所のものなり,幾何學に於てφは一般の曲線及び表面を研究するに當て常に現はるゝものにして二次表面の場合には始より終に到る迄其直接の應用あり
 第三のオペレートルは之をと書しWhewe'lか之にナブラと命名せしものにて空間一點の位置のスケーラー凾數に之を働かしめは其結果は一箇のヴェクトルにして此凾數の價か最も速に變し行く方向と其變化する割合とを示すものなり故に之をポテンシャル(Potential)に働かしめば力を生し其二乗の負號は物理學に於てLaplaceのオペレートルと名付るものなり,ナブラの性質及び應用はハミルトンの創意に係れ共Elements of Quaternionsを終决せすして逝去せられし爲め其研究充分ならざりしがテイトは續きて之を研究しマクスウェルは之を電氣學及び磁氣學の研究に應用したり然れ共マクスウェルは其著書に於て四元法の研究の結果を普通カルテシヤンコオルデネートの衣装にて記せり之れ世人四元法を解すること少なきに由るか爲ならん
 近年に至りMcAulayは四元法の記法に著しき修正を加へ然も一箇の新しきオペレートルTφなるものを導きたり而して此オペレートルはリニアールヴェクトルファンクションと同種のものゝにして其差異はTφに現はるゝ九箇の量はφに現はるゝものパーシャル微分オペレートル(Partial differential operators)なりとす此新しきオペレートルは例えは電氣變位を受けしヂエレキ物に於ける歪の結果を研究するか如き場合に應用せらるゝものなり
 アウスデーヌングスレーレ及び四元法を學ふ事に就い余か敢て注意せんとするは純正數學に志すものは前者を學ふべく應用數學に志すものは後者を學ふべしと云う事なりとすアウスデーヌングスレーレと近世高等數學との密接の關係は昨年(1896)のSchlömileh's Zeitschriftに掲けたるSchlegelの歴史的論文に詳述しあれば就て見るべし又同じ論文に四元法及びアウスデーヌングスレーレに關する論文題及び其所在を列記しありハミルトンの論文はGrave's Life of Sir. W. R. Hamiltonに集まり,四元法の論文の數種はLaisant, Introduction a la Méthode des Quaternions, 1881にありグラスマンの全集は今日出版中にて初の二冊に1844及び1862のアウスデーヌングスレーレありハミルトンのElements of Quaternionsは今再版中,Molenbroek's Quaternionenは二冊丈けは既に出版せられたり
 四元法を學ふ者は余の信する所によれば左の順序に依るへきものとす
  1. Hamilton, Elements of Quaternions.
    或は又
    Molenbroek, Quaternionen, 1894, 1895.
  2. Tait, Elementary Treatise on Quaternions, 3rd. Ed. 1890.
  3. McAulay, Utility of Quaternions in Physics, 1893.
四元法に基きて少しく其記法を變したるものゝ内特に記載すへきは
Gibbs, Elements of Vector Analysis, not published, 1881-4
著者はマクスウェルの電氣學書を研究したるの結果四元法によらずヴェクトルのみを用ひて物理學生の爲にせんとして之を著したれ共其希望たる余を以て之を察すれは少しく穩當を缺けり故に著者は四元法の結果たる所のものを基本の定義として之を
α ∙ β = T α T β cos(α,β)
α × β = T α T β sin(α,β) γ
と書して曰く玆にヴェクトルに二種の乗法あり其一をα ∙ βと書し其他をα × βとなし上の式を以て此等の定義となすと;然れ共此等は實に四元法に謂ゆる-Sα βVα βに外ならず 此小冊子の特色はダイアデック(Dyadic)と名付けらるゝリニアールヴェクトルファンクションに於ける研究に在りて存す四元法を學ふ者の一讀すへき物なり
 Heavisideの四元法も亦Gibbsと同一にして載せて電氣學に於ける全集にあり則ち四元法のSα β- α βと書しVα βVα βと書せり而して何故Sα βSを省畧せしかと云うの理由はSを度々書するの手數を省く爲にして何故に其記號を變するかの理由の一は始より負數號を書す煩を避る爲なれ共之れ即ち朝四暮三の適例なり又其他の理由はラプラースのオペレートルかナブラの二乗の負號たるか故とあれ共元來ナブラの意義を擴めて四元數のナブラqを作れはラプラースのオペレートルはS∇qKqと書すへきものにしてqかヴェクトルたる場合には其コンヂユゲートKq-qとなるか爲なり故にヘビサイドの記法は正當の修正に非すして寧ろ一時の易きを撰んで遠き慮なきものと見るの外なし FöpplのEinleitung zur Maxwellschen Theorie der Electricität, 1895 はヘビサイドの記法によれり
 此外CayleyのTheory of Matricesを名付て有名なるものあり之れはハミルトンのリニアールヴェクトルファンクションに外ならずして單に
φ
=
(
a
b
c
)
a1
b1
c1
a2
b2
c2
と書し此の如き二箇の函數を相乗したる結果は即ち一箇のリニアールヴェクトルファンクションなれは之をマトリクスの形に書き直すべく此方法を推擴めたるものは即ち一般マトリセスの數學なり
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス