代数記号の歴史
著者:梅谷 武
語句:ディオファントス,アル・フワーリズミー,アル・カサラディ,イブン・アル・バンナ,ルカ・パチョーリ,デル・フェッロ,タルタリア,フェラーリ,カルダノ,ラファエル・ボンベッリ,フランソワ・ヴィエト,シモン・ステヴィン,ルネ・デカルト,負項,定数項,ディオファントス方程式,コス
代数記号の歴史についてまとめる。調査不十分のため、現段階では中間報告的な記述になっている。
作成:2006-05-15
更新:2013-06-14

古代のバビロニアとギリシア

 代数方程式の歴史は、メソポタミア文明の古バビロニア時代までさかのぼることができます。年代的には紀元前20世紀から16世紀にあたり、現代からは4000年ぐらい、プトレマイオス朝のアレクサンドリアでユークリッドが原論を編纂した時期よりも2000年ぐらい昔のことです。
 現在までに解読されている古バビロニア時代の楔形文字による数学粘土板には一次方程式、二次方程式、特殊な形の三次方程式、四次方程式の解法の他に不定方程式の解法なども含まれています。素数の概念も知っていて素因数分解もしていました。これまでに見つかっている中で最大の素数は1481で、この数字は何らかの素数判定法があったことを 示唆しています。この時代にはまだ文字式はなく、方程式は日常言語で表現されていました。また、二次方程式の解の公式のようなものはなく、負の数の概念もありませんでした。二次方程式は解き方によっていろいろな形に分類され、それぞれの場合に正の解だけを求めていました。バビロニア人は表面的には数学を実用のためのものとして扱っていました。発掘された数学粘土板の多くが書記学校の練習帳のようなものであることからそれが推測されます。数学者は官僚を養成するための書記学校の教師として働いていたと思われます。また、応用とは無関係に数学そのものを純粋に楽しんでいることがうかがえるような粘土板も見つかっています。
 この古バビロニア時代の代数は、ほとんどそのまま古代ギリシアに受け継がれます。古代ギリシアではバビロニアの代数を幾何学と論証によって洗練しますが、計算することに関してはバビロニアを越えることはありませんでした。これに対してギリシア人は数学を実用性を超越した哲学として考え、計算することよりも論証することを重視しました。ですからバビロニア人が実用上の目的で行っていた近似計算を数学とは認めず、あくまでも厳密解を求めることだけを追求していました。その結果、二乗して2になる数、すなわち2が有理数でないということの証明を発見することになります。一方、バビロニア人は平方根表をもっていて、2を必要な精度の近似値として普通の数と同じように扱っていました。ユークリッド原論では第II巻で幾何学的な表現による代数方程式の解法を取り扱っていますが、これはバビロニアの代数を整理して証明を付けたような内容になっています。数は線分として扱われますが、やはり文字式は使われていません。また第X巻で無理数を取り扱っています。

ディオファントス

 最初に文字式が登場するのは、紀元後3世紀頃にアレクサンドリアで活躍したディオファントスDiophantos, 3世紀頃の『算術Arithmetica』においてでした。ディオファントスは未知数XϚ、その平方X2ΔY、その立方X3ΚYで表しました。また、これらを組み合わせてΔYΔ(=X4)ΔΚY(=X5)ΚΚY(=X6)まで取り扱っています。
表3.1.5 ディオファントスの代数記号
ディオファントス現代
M°-
ϚX
ΔYX2
ΚYX3
ΔYΔX4
ΔΚYX5
ΚΚYX6
Λ
 この時代のギリシアでは数字を表記するためにアルファベットが使われていました。下の表に数字とアルファベットの対応を示します。0を表す記号はまだ無く、10進法ですが数字は1から9だけではなく10100は別の記号を使っていました。 例えば2120 + 1と考えて20を表す記号 κ'1を表す記号α'を並べてκα'と書いていました。111100 + 10 + 1と考えて100を表す記号ρ'10を表す記号ι'1を表す記号α'を並べて ρια'となります。
表3.1.7 古代ギリシャの数字
110100
1α'ι'ρ'
2β'κ'σ'
3γ'λ'τ'
4δ'μ'υ'
5ℇ'ν'ϕ'
6ς'ξ'χ'
7ζ'ο'ψ'
8η'π'ω'
9ϑ'Ϟ'Ϡ'

例題3.1.8

83456996を古代ギリシアの数字表記で書きなさい。

解答

83 = πγ', 456 = υνς', 996 = ϠϞς'
 例えばX3 - 3X2 + 3X - 1をディオファントスの代数記号を使って表すとKYα'Ϛ γ'ΛΔYγ'M°α'となります。これは正の項を最初にまとめて、負項ふこうΛの後に置くという約束になっていて、正項であるX3 =KYα'3X = Ϛγ'が最初に書かれて、その後にそれ以降が負であることを示すが書かれ、その後に負の項である 3X2 = ΔYγ'と定数項1 = M°α'が続きます。M°定数項ていすうこうであることを示しています。

例題3.1.11

17X6 - 31131 X4 - 476 X2 - 931をディオファントスの代数記号で書きなさい。

解答

17 X6 - 31 = KKYιζ'ΛM°λα'
131X4 - 476 X2 - 931 = ΔYΔ ρλα'ΛΔYυος'M°Ϡλα'
 ディオファントスの時代においては整数や有理数の取り扱いはすでに確立していました。しかし、0という記号がなかったために方程式はaX2+c=bXというように左辺と右辺に振り分けて書いていました。平方根あるいは立方根の概念はありましたが、実数の扱い方はまだ確立していなかったために、方程式の解としては整数と有理数だけを扱っていました。ディオファントスの『算術』にあらわれる方程式はほとんどが不定方程式でした。このことから不定方程式はディオファントス方程式でぃおふぁんとすほうていしき, Diophantine equationと呼ばれています。
 (バースカラBhāskaraの業績紹介)

中世アラビア

 古代ギリシアの数学は、キリスト教の普及とともに古代ギリシア哲学が異教として迫害されたために5世紀頃に終焉を迎えます。その後、バビロニアやギリシアの数学は急速に勢力を増していったイスラム世界やインドにおいて引き継がれ、発展します。特に825年頃にアル・フワーリズミーal-Khwārizmī, 780?-850によって著された『ヒサーブ・アル・ジャブル・ワル・ムカーバラ』は代数学を意味する"algebra"の語源となり、アル・フワリズミーという名前が間違って発音されて算法を意味 する"algorithm"の語源となりました。
 (アル・カラサディal-Kalasādī, ?-1486?による代数記号:『グバル科学の覆面を上げる書』)

中世イタリア

 14世紀頃になるとイタリア商人による地中海貿易が活発になります。この経済発展に伴って商業のための数学が発達します。商人の子弟に数学を教える算法教師という職業ができたことにより、特に代数学を研究する数学者が増え始めます。1447年頃にグーテンベルグが活版印刷を発明したことにより、書籍の大量出版が可能となりましたが、この時期に再生を意味するルネサンスという言葉で表現される、古代のギリシアやローマの文芸を復興しようという運動が興ります。ユークリッド原論は1482年にアラビア語からラテン語に翻訳されて出版されます。1494年にはヴェネチアでルカ・パチョーリPacioli, Fra Luca Bartolomeo de, 1445-1517の『算術・幾何・比例全書(スンマ)』が出版されます。これはユークリッド原論の幾何学と算術の要約を含み、簿記について書かれた最初の書物としても知られています。アラビア数字の採用やラテン語ではなくイタリア語のヴェネチア方言で書かれたという当時としては画期的ともいえる内容で、改版を繰り返しながら、広く全ヨーロッパに普及していきます。
 中世イタリアの算法教師達は、ディオファントスと同じような文字式を使っていました。パチョーリはさらにプラスとマイナスを表すpmという記号を導入します。イタリアの算法教師達は2次方程式の解法を3次以上の方程式に拡張しようとしました。しかし、3次方程式の一般的な解法を得るまでには至りませんでした。パチョーリも3次方程式の一般解法はまだないと書いています。
 中世イタリアの代数学はコスこす, cossの技法としてヨーロッパ全体に普及していきます。またパチョーリ以降のイタリアにおいては、デル・フェッロdel Ferro, Scipione, 1465-1526タルタリアTartaglia, Niccolò, 1499-1557フェラーリFerrari, Lodovico, 1522-1565らによって3次方程式と4次方程式の一般解法が確立され、カルダノCardano, Girolamo, 1501-1576が1545年にそれらの成果をまとめて『アルスマグナArs magna, sive de regulis algebraicis』として出版しました。
表3.1.22 中世イタリアの代数記号
中世イタリア略号現代
cosacX
censoceX2
cubocuX3
censo di censoce ceX4
censo di cuboce cuX5
cubo di cubocu cuX6
radiceRX

ラファエル・ボンベッリ

ラファエル・ボンベッリBombelli, Rafael, 1526-1572はイタリアの代数学の伝統を受け継ぐとともにヴァティカン図書館でディファントスの『算術』の写本を研究し、1572年に『代数学Algebra』を出版します。この中で未知数の冪乗を指数で表しました。例えばX3 - 3X2 + 3X - 1はディオファントスの代数記号を使って表すと
KYα'Ϛ γ'ΛΔYγ'M°α'
となりましたが、ボンベッリはこれを
1③m3②p3①m1
(丸付き数字は実際には下半円)と表記しました。また方程式の根として現われてくる、後に複素数と呼ばれることになる数の演算規則を初めて提示しました。

フランソワ・ヴィエト

フランソワ・ヴィエトViète, François, 1540-1603は1591年に出版した『解析技法序論In artem analyticem isagoge』において未知数をAや他のE,I,O,U,Yのような母音で表し、既知数をB,G,Dや他の子音で表しました。ディオファントス以来、未知数を記号で表すことは行われていましたが、既知数を記号で表したのヴィエトが最初であるとされています。しかし、冪乗の表記についてはボンベッリのような指数を 用いませんでした。

シモン・ステヴィン

シモン・ステヴィンStevin, Simon, 1548-1620は1585年に『十分の一De Thiende』と『算術l'Arithmétique』を出版し、前者ではヨーロッパでは始めてとなる10進法の小数表記を導入し、後者においてはボンベッリに近い形で文字式を表記しています。例えば
X3 - 3X2 + 3X - 1 = 1③ - 3② + 3①- 1
というように指数を丸で囲むことによって未知数の冪乗を表しています。また指数として分数も含めて考えており、平方根や立方根も表現することができました。ステヴィンの考え方は現代的な多項式の定義そのものといっていいほどです。

ルネ・デカルト

 現在使われている文字式はルネ・デカルトDescartes, René du Perron, 1596-1650によって作られたものです。1637年に出版された『幾何学Géométrie』においてはほぼ現代と同じ代数記号が使われています。しかし、ステヴィンのような分数指数は用いず、伝統的な根号を使っていました。現代において根号と分数指数が混在しているのは、デカルトの影響が大きいと思われます。

参考文献

[3] F. カジョリ, カジョリ 初等数学史, 共立出版, 1997
img
 
 
[4] ヴィクター・J. カッツ, カッツ 数学の歴史, 共立出版, 2005
img
B5変形995ページと一冊にまとまった数学の通史としては最大級の情報量を含んでいます。すべての時代、すべての地域の数学史を要領よくまとめており、数学史の辞書として使うことができます。
 
[5] ファン・デル・ヴェルデン, 代数学の歴史―アル‐クワリズミからエミー・ネーターへ, 現代数学社, 1994
[6] B.L.ファン・デル ヴェルデン, ファン・デル・ヴェルデン 古代文明の数学, 日本評論社, 2006
img
 
 
[7] アンドレ ヴェイユ, 数論―歴史からのアプローチ, 日本評論社, 1987
img
 
 
[8] 足立 恒雄, フェルマーを読む, 日本評論社, 1986
[9] Jean‐Pierre Tignol, 代数方程式のガロアの理論, 共立出版, 2005
img
 
 
[10] 佐々木 力, デカルトの数学思想 (コレクション数学史), 東京大学出版会, 2003
img
 
 
人  物
ディオファントス Diophantos, 3世紀頃
プトレマイオス朝アレクサンドリアの数学者。生涯に関する詳細は知られていない。墓碑に書かれた文章から84歳まで生きたと推測されている。
ブラフマグプタ Brahmagupta
バースカラ Bhāskara
アル・フワーリズミー al-Khwārizmī, 780?-850
イスラム教学者。数学や地理学の著作を残す。
アル・カラサディ al-Kalasādī, ?-1486?
グラナダ出身
イブン・アル・バンナ al-Bannā', 1252?-?
ルカ・パチョーリ Pacioli, Fra Luca Bartolomeo de, 1445-1517
イタリアの算法教師。後にフランシスコ会の修道士となる。複式簿記の概念を初めて出版したことから近代会計学の父と呼ばれる。
デル・フェッロ del Ferro, Scipione, 1465-1526
ボローニャ大学教授。3次方程式X3+cX=dの解法を発見する。
タルタリア Tartaglia, Niccolò, 1499-1557
ブレーシャの数学者。3次方程式X3+bX2=dの解法を発見する。またデル・フェッロとは独立にX3+cX=dの解法も発見し、1535年にデル・フェッロの弟子フィオーレとの公開数学試合で勝利する。
フェラーリ Ferrari, Lodovico, 1522-1565
カルダノの弟子。4次方程式の一般解法を発見する。
カルダノ Cardano, Girolamo, 1501-1576
ミラノの医師。数学、哲学、占星術、賭博など多方面の活動を行う。
ラファエル・ボンベッリ Bombelli, Rafael, 1526-1572
イタリアの土木技術者・代数学者。
フランソワ・ヴィエト Viète, François, 1540-1603
フランスの法律家、枢密院議員。暗号解読に通ずる。
シモン・ステヴィン Stevin, Simon, 1548-1620
ベルギー生まれ。オランダに移住し、技術者、数学者として生涯を送る。
ルネ・デカルト Descartes, René du Perron, 1596-1650
フランスのラ・エの貴族として生まれる。1628年にオランダへ移住し、哲学者となる。1637年に『方法序説』を発表する。
 
物  品
算術 Arithmetica
ディオファントスの主著。序文で13巻あると書かれているが、現存するのはギリシア語で6巻、アラビア語で4巻のみである。アラビア語版は改訂版の翻訳と考えられている。レギオモンタ-ヌス(Johannes Regiomontanus, 1436-1476)がヴァチカンでギリシア語版6巻を発見する。ボムベッリ(Raphael Bombelli, 1526-1572)が『代数学』で取り上げ、ホルツマン(Wilhelm Holzmann, 1532-1576)が完全なラテン語訳を刊行する。1621年にバシェ(Claude-Gaspar Bachet de Meziriac, 1581-1638)によりギリシア語版6巻がラテン語訳とともに出版され、これを入手して精読したフェルマーはその欄外に48項の書き込みを行なった。その中に有名なフェルマーの大定理が含まれている。
アルスマグナ Ars magna, sive de regulis algebraicis
『偉大なる術, すなわち代数学の規則について』
代数学 Algebra
1557~1560年にボンベッリがローマで代数学の研究に取り組んだ成果をまとめたもの。カルダノの『アルスマグナ』よりも体系的で広くヨーロッパで読まれた。
解析技法序論 In artem analyticem isagoge
十分の一 De Thiende
算術 l'Arithmétique
幾何学 Géométrie
 
数  学
負項 ふこう
本来は真ん中に垂直の線が書かれるが、対応するUNICODEフォントが無いために大文字のラムダ'Λ'で代用している。
定数項 ていすうこう
対応するUNICODEフォントが無く、HTMLではMの上に丸を書けないためにこのように表記しているが、実際は丸がMの真上に置かれる。
ディオファントス方程式 でぃおふぁんとすほうていしき, Diophantine equation
コス こす, coss
 
Published by SANENSYA Co.,Ltd.