木村駿吉について
著者:梅谷 武
語句:四元数, フェリックス・クライン, ウィラード・ギブズ, 木村駿吉, 木村摂津守, Ken Shoemake
木村駿吉について調べたことをまとめる。
作成:2010-05-25
更新:2014-08-16
 四元数について本格的に調べ始めた2008年に、フェリックス・クラインFelix Christian Klein, 1849-1925の『高い立場からみた初等数学』に四元数についてかなり詳細な解説があったことを思い出し、読み直したところ、次のような文章が目に飛び込んできました。
しかし数学でも他の人間の生活と同じようなことが起るもので、冷静な客観的な見方とならんで熱情的で個人的な信念も現れてくるものである。そういうわけで、四元数の理論も熱烈な支持者と熱情的な敵対者とをもっている。支持者はおもに英国とアメリカにいるが、かれらは1907年に「四元数研究推進同盟」の設立という現代的な運動方法を採用した。この組織は完全に国際的なもので、アメリカで研究していた日本人の数学者木村によって設立され、サー・ロバート・ボールが一時その総裁をしていた。
 この時代に国際的に名の知られた日本人数学者としては藤沢利喜太郎ふじさわ りきたろう, 1861-1933しかいないと思い込んでいたので、この木村という人物はいったい何者なのだろうと興味を持ちました。知人の数学者にこの話をしたところ、文献データベースを検索して論文[5]を見つけたと教えてくれました。この情報をもとにしてさらに検索したところ、これに加えてP.Molenbroekとの共著でnature誌に発表した[6]が見つかり、Shunkichi Kimuraの漢字表記が木村駿吉であるらしいこともわかりました。日本語での検索によりこの木村駿吉きむら しゅんきち, 1866-1938が、1905年に日本海軍連合艦隊とロシア海軍太平洋艦隊の間で戦われた日本海海戦において極めて重要な役割を担った人物であることもわかってきました。
 木村駿吉の生涯は文献[9]に詳述されています。それによれば数学・物理学の研究歴は概ね次のとおりです。1888年東京大学物理学科卒業後、大学院でC.G.Knott教授の下で静電気学を研究し、1893年にハーバード大学に留学し、J.M.Peirce教授に四元法と数理物理学を学び、1895年にエール大学に移り、ウィラード・ギブズJosiah Willard Gibbs, 1839-1903教授の下で数学と物理学を学び、学位を取得しています。1895年にオランダのハーグ大学教授のP.Molenbroeckと共にnature誌上で広く世界中に呼びかけてInternational Association for Promoting the Study of Quaternions and Allied Systems of Mathmatics(四元数研究推進同盟)を設立しました。これについてはWikipediaのQuaternion Societyの項に解説があります。
 四元数研究推進同盟を設立した日本人数学者木村について調べ始めた頃、数学者木村と三六式無線電信機を開発した人が同一人物であるとは想像もつきませんでした。インターネット上で調べていて、この話に出くわしたときは半信半疑でしたが、文献調査によってこれを確認しました。司馬遼太郎のいう「清廉で透きとおったリアリズム」をもったこの稀有な才能と途方も無いエネルギーには時代を超えて圧倒されてしまいます。
 ここでは木村駿吉を知るための素材として文献で確認できる事項を年表にしておきます。
1866年(慶応 2年) 江戸で軍艦奉行木村摂津守の三男として生まれる。
1881年(明治14年,15歳) 東京大学予備門入学。
1884年(明治17年,18歳) 東京大学理学部物理学科入学。
1888年(明治21年,22歳) 東京大学理学部物理学科卒業。大学院入学。
1890年(明治23年,24歳) 第一高等中学校嘱託教員。
1891年(明治24年,25歳) 第一高等中学校教授。
1892年(明治25年,26歳) 内村鑑三不敬事件。第一高等中学校追放。立教学校教頭。
1893年(明治26年,27歳) ハーバード大学留学。
1894年(明治27年,28歳) マルコーニが無線通信を発明。
1895年(明治28年,29歳) エール大学に移る。四元数研究推進同盟の設立。
1896年(明治29年,30歳) 学位取得。第二高等学校教授。無線通信の研究開始。
1900年(明治33年,34歳) 海軍教授。海軍無線電信調査委員会委員。
1901年(明治34年,35歳) 通信可能距離80海里達成。
1903年(明治36年,37歳) 海軍が三六式無線電信機を採用。
1905年(明治38年,39歳) 日本海海戦において日本海軍連合艦隊が勝利。
1914年(大正 3年,48歳) 免官。特許弁理士登録。
1938年(昭和13年,72歳) 永眠。
 木村駿吉を理解しようとするときに、その父である木村摂津守喜毅について知ることがまず必要です。これについては咸臨丸による遣米使節に従者として同行した長尾幸作の曾孫である著者が書いた文献[12]が詳しく参考文献も充実しています。
 勝海舟とともに日本海軍の祖となった木村摂津守という人物を知るための一つのエピソードを紹介しておきましょう。長崎海軍伝習所取締を経て軍艦奉行となった摂津守は、1860年に日米修好通商条約批准のため遣米使節の副使として咸臨丸で渡米することになったとき、乗員へ役に相応しい報酬を支払うために家財を処分して3000両を作り、さらに幕府から500両を借金して計3500両という私費と幕府から預かった公金7000両+8万ドルをもって航海に臨み、帰国後、諸経費を精算し公金の8割を幕府に返還していますが、私費の3500両はすべて使い果たしています。
 公金の中抜きが横行する昨今の風潮からすると、まさに心洗われる御伽噺のようです。
 司馬遼太郎『坂の上の雲』[13]が語る日本海海戦におけるバルチック艦隊発見のくだりを要約しておきます。
1905年5月27日午前2時30分、哨戒艦信濃丸は五島列島沖でバルチック艦隊の病院船アニョールの燈火を発見する。全艦隊無燈火で無電禁止を命じられていたが、この船はその命令に従っていなかった。信濃丸艦長成川大佐は船の後方に回り、月の明かりで相手を確認しようとした。午前4時30分頃に病院船と確認した。このとき夜が白んだ。そして、信濃丸はバルチック艦隊の真っ只中にいることに気が付いた。そして、次のような電信を打電する。
「敵の艦隊、203地点に見ゆ。時に午前4時45分」
この無電は対馬に停泊中の厳島から鎮海湾の三笠に午前5時5分に中継された。
この後の激闘により翌28日の朝方までにロシア第1・第2艦隊はほぼ壊滅し、午前11時頃にロシア第3艦隊が降伏して戦闘は終結しました。
 旗艦三笠参謀の秋山真之は6月10日付け木村駿吉宛書簡で次のように深い謝意を表しています。
日本海の大捷たいしょうは天佑神助によるといえども、無我無心なる兵器の効能もまたすこぶる著しく、就中なかんずく無線電信器の武功抜群なりしについては、小生深く貴下に感謝するところに御座候。
 木村駿吉が設立に係わった「四元数研究推進同盟」は1914年頃に活動を停止し、四元数は数学や物理学の本流からは離れていきました。しかし、それから70年後の1985年にKen ShoemakeがACM SIGGRAPHに論文[14]を発表し、コンピューターアニメーションにおける回転表現には四元数曲線を使うのが最善であると主張しました。その後、厳密な証明を伴わないこの論文を補強、発展させる研究が次々に発表され、四元数が再び脚光を浴びるようになりました。アポロ13号で有名になった慣性航法システムにおけるジンバルロック現象も四元数を使うことで回避できることから、2010年の現在では、四元数はコンピューターグラフィックスや航空宇宙工学に係わる者の必修科目になっています。
 このような歴史を鑑みるときに、四元数に関してはクラインの数学観よりも、
アウスデーヌングスレーレ及び四元法を學ふ事に就い余か敢て注意せんとするは純正數學に志すものは前者を學ふべく應用數學に志すものは後者を學ふべしと云う事なりとす
という木村駿吉の先見の明の方に軍配を上げたくなるのは贔屓目でしょうか。
[1] フェリックス クライン, 高い立場からみた初等数学〈第1〉, 商工出版社, 1959
[2] フェリックス クライン, 高い立場からみた初等数学〈第2〉, 商工出版社, 1960
[3] フェリックス クライン, 高い立場からみた初等数学〈第3〉, 商工出版社, 1961
[4] フェリックス クライン, 高い立場からみた初等数学〈第4〉, 東京図書, 1961
[5] Shunkichi Kimura, On the Nabla of Quaternions, Annals of Mathematics, vol.10, no.1/6, pp.127-155, 1895-1896
[6] P. Molenbroek, Shunkichi Kimura, To Friends and Fellow Workers in Quaternions, nature, vol.52, pp.545-546, 1895-10
[7] 木村駿吉述,波木井九十郎編, 四元法講義 第1冊, 内田老鶴圃, 1897
[8] 小松 醇郎, 幕末・明治初期数学者群像(上), 吉岡書店, 1990
[9] 小松 醇郎, 幕末・明治初期数学者群像(下), 吉岡書店, 1991
[10] 公田 蔵, 四元法と明治前期の日本, 数理解析研究所講究録, pp.244-259, 2002-04
[11] 公田 蔵, 日本の数学教育とベクトル, 数理解析研究所講究録, pp.190-204, 2003-05
[13] 司馬 遼太郎, 坂の上の雲 新装版 八(文春文庫), 文藝春秋, 1999
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[14] Ken Shoemake, Animating rotation with quaternion curves, ACM SIGGRAPH Computer Graphics, vol.19, no.3, pp.245-254, 1985-07
人  物
フェリックス・クライン Felix Christian Klein, 1849-1925
ドイツの数学者。23歳でエルランゲン大学教授に招聘され、幾何学研究に関するいわゆるエルランゲンプログラムを発表した。
藤沢利喜太郎 ふじさわ りきたろう, 1861-1933
東京大学理学部卒業後、ヨーロッパに留学。帰国後、数学教育確立に尽力。
木村駿吉 きむら しゅんきち, 1866-1938
軍艦奉行木村摂津守喜毅(1830-1901)の三男。次男は海軍少将木村浩吉。東京大学理学部物理学科を卒業後、アメリカに留学。帰国後、第二高等学校教授を勤めた後、海軍で艦船用無線電信機の開発に従事し、通信距離を飛躍的に伸ばした三六式無線電信機により日本海海戦勝利に貢献した。
ウィラード・ギブズ Josiah Willard Gibbs, 1839-1903
アメリカの数学者・物理学者・物理化学者。エール大学教授。ベクトル解析の創始者の一人。
 
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