1.3節 可差性の代数学
著者:梅谷 武
語句:可差性, 可差半加群, 可差半環, 順序加群, 順序環, 対称化
線形代数につながる重要な性質である可差性をもつ代数系の性質を調べる。
作成:2009-08-17
更新:2011-03-08
 無向量の可差性はそれだけを見ればとるに足らない性質のようですが、この性質をもつ代数系を調べていくと、我々に馴染み深い線形代数の世界につながっていきます。結果的にこの可差性から無向量は一次元の線形空間であり、無向量の自己同型写像全体はそれに作用する順序体となることが導かれます。このすべてを生み出す根本にある可差性を公理とした『原論』の著者の慧眼には驚くばかりです。
 この節ではこの可差性だけからどれだけのことが導かれるのかを示します。

定義1.3.2.1 加群

零元をもつ半加群において次の性質が成り立つとき、加群かぐん, moduleという。
(逆元) 任意の元aについて-aが存在して、 a + (-a) = (-a) + a = 0

定義1.3.2.2 順序加群

全順序が付けられた加群において次の性質が成り立つとき、順序加群じょんじょかぐん, ordered moduleという。
(単調性) 任意の三元a,b,cについてa < b ⇒ a + c < b + c
 順序加群では次のような計算法則が成り立ちます。

命題1.3.2.4 順序加群の計算法則

順序加群において、次が成り立つ。
(1) 任意の四元a,b,c,dについてa < b, c < d ⇒ a + c < b + d
(2) 任意の三元a,b,cについてa = b ⇔ a + c = b + c
(3) 任意の三元a,b,cについてa < b ⇔ a + c < b + c
(4) 任意の二元a,bについて0 < a, 0 < b ⇒ 0 < a + b
(5) 任意の二元a,bについてa < b ⇔ 0 < b - a
(6) 任意の二元a,bについてa < b ⇔ -a > -b

証明

(4) (1)より。
(5) は単調性の定義においてc = -aとおく。0 < b - aの両辺にaを加える。
(6) b = a + c, c > 0より-a = -b + c, -a - (-b) = c > 0であるから(5)より。■
 順序加群Mについて
M+ := { a ∈ M | a > 0 }
M+ := { a ∈ M | a ≧ 0 }
M- := { a ∈ M | a < 0 }
とおき、それぞれMの正の部分、非負の部分、負の部分と呼びます。このとき、M = M+ ∪ {0} ∪ M-であり、M+,M+,M-は順序半加群であり、M+M+の閉包に一致し、さらに次が成り立ちます。

補題1.3.2.7 順序加群の可差性

順序加群Mの任意の二元a,bについて、次のいずれか一つが成り立つ。
(1) a = b + cなるc ∈ M+が存在する。
(2) a = b
(3) b = a + cなるc ∈ M+が存在する。

証明

c := b - aとおくとc ∈ M+, c ∈ {0}, c ∈ M-のいずれかである。c ∈ M+ならば(3)である。c ∈ {0}ならばc = 0であり、(2)である。c ∈ M-ならばa > bであり、-c = a - b ∈ M+で、a = b + (-c)が成り立ち(1)である。■

系1.3.2.9 順序加群の正の部分の可差性

順序加群の正の部分は可差半加群である。

定義1.3.3.1 順序加群上のノルム

順序加群Mからその非負の部分M+への写像
 
:M longrightarrow M+, a longmapsto
a
を次のように定める。
a
= lc96
a,
a
M+
0,
a
=
0
-a,
a
M-
これを順序加群Mノルムのるむ, normという。

命題1.3.3.2 順序加群上のノルムの性質

順序加群Mの任意の二元a,bについて次が成り立つ。
(正値性) a0かつa = 0 ⇔ a = 0
(三角不等式) a + ba + b

証明

(正値性) 定義より。
(三角不等式) a,bのどちらかが0のときは等号が成り立つので、両方とも0でないとする。a,b ∈ M+のときは等号が成り立つ。a,b ∈ M-のときはa + b = -a + -b = a + bで等号が成り立つ。a ∈ M+, b ∈ M-のとき、b < -bよりa + b < a - bであり、-a < aより-a - b < a - bであるから a + ba + b。■

命題1.3.3.4 順序加群の対称性

順序加群M上のノルムを負の部分M-に制限した写像は、M-からM+への半加群としての同型写像となる。この写像により順序は逆に写される。

証明

a ∈ M+について-a = aより全射であり、a < bならば -a > -bより順序が逆転し、単射であることがわかる。■

命題1.3.4.1 可差半加群の対称化

可差半加群Nはそれを正の部分とするような順序加群Mに一意的に拡大することができる。

証明

-N := { -a | a ∈ N }とし、M := N ∪ {0} ∪ -Nとする。Mに加法が自然に定義され、それにより順序加群となることを示せばよい。a,b ∈ Nの場合はすでに定義されており順序半加群になることがわかっている。a ∈ N, b ∈ -Nの場合を考える。b = -b', b' ∈ Nである。可差半加群の定義より次のいずれかである。
(1) a = b' + cなるc ∈ Nが存在する。
(2) a = b'
(3) b' = a + cなるc ∈ Nが存在する。
(1)のときはa + b := c、(2)のときはa + b = 0、(3)のときはa + b := -cと定義する。a,b ∈ -Nの場合は、a = -a', b = -b', a',b' ∈ Nとするときa + b := -(a' + b')と定義する。この加法によりMが順序加群になることを検証する作業は読者にゆだねたい。■

定義1.3.5.1 半群

集合Sの二つの元a, bについて乗法ab ∈ Sが定義されていて次の性質を満たすとき、S半群はんぐん, semi-groupであるという。
(結合律) 任意の三元a,b,cについて、(ab)c = a(bc)
半群Sが次の性質を満たすとき、可換かかん, commutativeであるという。
(可換律) 任意の二元a,bについて、ab = ba
半群Sが次の性質を満たすとき、単位元を持つという。
(単位元) 1 ∈ Sが存在し、任意の元aについて、 a1 = 1a = a

定義1.3.5.2 群

単位元をもつ半群において次の性質が成り立つとき、ぐん, groupという。
(逆元) 任意の元aについてa-1が存在して、aa-1 = a-1a = 1

定義1.3.5.3 半環

和に関して零元0をもつ半加群が、積に関して単位元10をもつ 可換半群であり、さらに任意の三元a,b,cについて
(分配律) a(b + c) = ab + ac
が成り立つとき、可換半環かかんはんかん, commutative semi-ringであるという。

定義1.3.5.4 可換環

可換半環が和に関して加群であるとき、可換環かかんかん, commutative ringという。

命題1.3.5.5 可換環の計算法則

可換環において、次が成り立つ。
(1) 任意の元aについてa0 = 0a = 0
(2) 任意の二元a,bについてa(-b) = (-a)b = -ab
(3) 任意の二元a,bについて(-a)(-b) = ab
(4) 任意の三元a,b,cについてa(b - c)=ab - ac

証明

(1) a0 + a0 = a(0 + 0) = a0の両辺に-a0を加える。
(2) ab + a(-b) = a(b - b) = a0 = 0より、a(-b) = -ab
(3) (2)でa-aを代入する。
(4) a(b - c) = a(b + (-c))= ab + a(-c) = ab - ac。■

定義1.3.6.1 順序半環

可換半環が和に関して順序半加群であるとき、順序半環じゅんじょはんかん, ordered semi-ringという。

定義1.3.6.2 可差半環

可換半環が半加群として可差半加群の閉包になっているとき、可差半環かさはんかん, differentiable semi-ringという。 可差半環は順序半環である。

定義1.3.6.3 順序環

可換環が順序加群であり、その正の部分が積で閉じているとき、順序環じゅんじょかん, ordered ringという。
 順序環Rについて
R+ := { a ∈ R | a > 0 }
R+ := { a ∈ R | a ≧ 0 }
R- := { a ∈ R | a < 0 }
とおき、それぞれMの正の部分、非負の部分、負の部分と呼びます。このとき、R = R+ ∪ {0} ∪ R-であり、R+,R-は積に関して閉じていて、R+は順序半環であり、可差半加群としてのR+の閉包に一致し、可差半環であり、さらに次が成り立ちます。

定義1.3.6.5 零因子と整域

一般に環の0でない二元a,bの積ab0になるとき、a,b零因子ぜろいんし, zero divisorという。零因子をもたない環を整域せいいき, integral domainという。

命題1.3.6.6 順序環は整域

順序環は整域である。

証明

順序環R0でない二元a,bがともにR+あるいはR-に属するときは、これらが積で閉じていることから零因子ではない。a ∈ R+, b ∈ R-のときはb = -b', b' ∈ R+とすれば、ab = a(-b') = -ab' ∈ R-となり零因子ではない。■

命題1.3.6.8 順序環の計算法則

順序環において、次が成り立つ。
(1) 任意の三元a,b,cについて0 < c, a < b ⇒ ac < bc
(2) 任意の三元a,b,cについてc < 0, a < b ⇒ ac > bc
(3) 任意の四元a,b,c,dについて0 < a < b, 0 < c < d ⇒ 0 < ac < bd

証明

(1) b - a > 0であるから(b - a)c = bc - ac > 0
(2) (b - a)c = bc - ac < 0
(3) (1)よりac < bc, bc < bd。■

定義1.3.7.1 順序環上の絶対値

順序環Rからその非負の部分R+への写像
 
:R longrightarrow R+, a longmapsto
a
を次のように定める。
a
= lc96
a,
a
R+
0,
a
=
0
-a,
a
R-
これを順序環R絶対値ぜったいち, absolute valueという。順序環の絶対値は順序加群としてのノルムに一致する。

命題1.3.7.2 順序環上の絶対値の性質

順序環Rの任意の二元a,bについて次が成り立つ。
(正値性) a0かつ a = 0 ⇔ a = 0
(積の保存) ab = a b
(三角不等式) a + ba + b

証明

(正値性)と(三角不等式)は順序加群のノルムの性質からでてくる。(積の保存)は可換環の積の性質からすぐにわかる。■

命題1.3.7.4 順序環の対称性

順序環R上の絶対値を負の部分R-に制限した写像は、R-からR+への半加群としての同型写像となる。この写像は積を保存し、順序は逆に写す。

証明

順序加群の対称性からでてくる。■

命題1.3.8.1 可差半環の対称化

可差半環はそれを非負の部分とするような順序環に一意的に拡大することができる。

証明

可差半環は可差半加群の閉包であるから、可差半加群Sを対称化することによって順序加群Rに拡大することができる。 -S := { -a | a ∈ S }とし、R := S ∪ {0} ∪ -Sとする。Rに積が自然に定義され、それにより順序環となることを示せばよい。a,b ∈ Sについてab ∈ Sであるから、a(-b) = (-a)b := -ab, (-a)(-b) := abと定義する。この乗法によりRが順序環になることを検証する作業は読者にゆだねたい。■
 対称化によって可差半加群は順序加群に、可差半環は順序環になりますが、これらすべてに異なる記号を割り当てると記号が増えてわかりにくくなり、相互関係も不明ですので、今後は可差半加群はM+、それを対称化した順序加群をM、可差半環はR+、それを対称化した順序環をR、というように記号を節約して表すことにします。この用法を使った場合、無向量MといったときのMは、アルキメデス的可差半加群M+を対称化したものと解釈します。
[1] 彌永 昌吉, 数の体系 (上) (岩波新書), 岩波書店, 1972
[2] 彌永 昌吉, 数の体系 (下) (岩波新書), 岩波書店, 1978
[3] 松坂 和夫, 代数系入門, 岩波書店, 1976
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数  学
加群 かぐん, module
順序加群 じょんじょかぐん, ordered module
ノルム のるむ, norm
半群 はんぐん, semi-group
可換 かかん, commutative
ぐん, group
可換半環 かかんはんかん, commutative semi-ring
可換環 かかんかん, commutative ring
順序半環 じゅんじょはんかん, ordered semi-ring
可差半環 かさはんかん, differentiable semi-ring
順序環 じゅんじょかん, ordered ring
零因子 ぜろいんし, zero divisor
整域 せいいき, integral domain
絶対値 ぜったいち, absolute value
 
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